車・乗り物

MG|ミニ大好き!!津川哲夫のホウボウ日記

 先日筆者は古稀と言う年齢の大台を超え、70台に突入してしまった。
 生まれは戦後のベビーブーム、つまり団塊の世代と言われるジャンルに属する。

 この年代は希少の真逆で多量の人間が犇めいていて、生まれた時から現在に至るまで、あらゆるところで競争率の高い生活を余儀なくされてきた。しかし悪い事ばかりではなく筆者のように車好き(好きと言うよりも完全に溺れている!!)には実に良い環境であった。日本の自動車文明の発展史の流れに身を任せてこられたからだ。もちろん筆者が生まれた時から自動車は世の中を闊歩していたのだが、日本の自動車産業は戦争のおかげで、本当の進化は戦後(戦後と言う言葉は現代の若者たちには意味のない死語になっている様だ)の日本の復興期と重なり、ここから猛然と進化を始めたわけだ。そう、筆者の世代はその日本のモータリゼーションと共に生まれ育ってきた世代と言って良いはずだ。トヨタが日産が日野がいすゞが三菱がダイハツがマツダがクロガネが・・多くは外車のノックダウンから始まり独自の自動車開発へと猛然と動きだしたのだ。ここから進化した日本の自動車産業、現在では世界を制する自動車王国へと発展したわけだ。


 我々の世代の楽しかったことは、この発展期に有りとあらゆる車を見ることが出来たからだ。クロガネやマツダのオート三輪、観音開きのトヨタ・クラウン、幼児の時は米軍の乗っていたジープやパッカードや大きなシボレー、物心付く少年期にはノックダウンのオースチンやルノー、ヒルマンなんてのも走り回っていて実に見応えがあった。そして中学になると日本でも自動車レースが始まり、そこには今まで見たこともない恰好の良い外国のスポーツカーが”サーキット狭し”とばかりに、バンバン走っていたのだ。
なかでも英国車がかなりの率を占めていた。もちろん筆者がレースに目覚めたころにはロータス・エリートやエラン、トライアンフTR3とかTR4等がお金持ちの手でサーキットでブイブイ言わせていた。もちろんこれにMGAなども加わっていて、英国スポーツカーの品評会の様相であった。
 どのスポーツカーも恰好良く現在のスポーツカーに繋がる要素を持っていたが、中でも素晴らしいスポーツカーに思えたのがMGであった。

 それもAではなく、実はさらに古いTシリーズ、中でもTFのちょっとアールデコッているラインには憧れたものだ。確かにこの時点ではもはや“速いくるま”ではないのだが、このTシリーズに代表されるラダーフレーム式フロントエンジンで飛び出たタイヤをフェアリングがカバーしているスタイルが現代のフルモノコックでタイヤアーチが車体に隠れている形とは次元の違う存在感であった。(現在でもケーターハムやモーガンがこれを継承しているが・・)またTシリーズ以前のJシリーズのサイクルフェンダーまで行くと、もはやシングルシーターオープンホイールつまりF1の様で、スピードではなくレーシーな香りがプンプンしてくるのだ。
 この形は例えば古きベントレーとか、メルセデスとか・・他にも大型で結構色々あるのだが、MGの良さは結局エンジンのキャパは最大でも1500cc、もちろんJ3ではスーパーチャージがガンガン効いているので結構パワフルだが、NAでは1300とかがレギュラーキャパシティーなので車がコンパクト。いわゆる軽量スポーツの取り回しの良さ、手軽さのなかにきびきびした走りと、大型では考えもしないフットワークを見せてくれる・・・ってあくまでも当時の評価での話で現代車とは比べ物にはならないが。僕らの時代、車にはそれぞれの主張や造る側の理論を超えた思い込みや、偶然の成功や勘違いも含めた実に人間的要素が満載されていた。今これらのクラシックカーやレトロカー、ベテランカー等が大ブームになってきている。その分西欧諸国などのクルマ先進国での新車販売台数は伸び悩んでいるはずだ(とは定かではなく、あくまでも勝手な思い込みで・・)


 ”走る”すなわち”駆る”と言う目的で造られた車たちが大量に生まれた時代、そんな時代の個性と感性は時代の発展と供に最新技術が淘汰してゆき、近い将来車を駆ると言う行為もまた消滅しようとしている。そんな目眩く車の時代を“くるま”と共に生きてこられた僕らの世代。“くるま”好きには極めて幸せな時代を生きてきたと言うものだ。1933年MGJ2、J3。そして1953年のMGTD 54年のTF・・未来を見つめて果敢に走り始めた彼らは、現在の自動車環境にいったいどんな思いを持っているのだろうか・・・などと、前世紀の“くるま”はこうやって擬人化して考えることが出来たのだが、現代の車は素晴らしいサイボーグの様なマシーナリーに進化してしまい、一番似合うのがもはやコードとしてのコードナンバーそのものになってしまった。
 MGTD、MG-タイプJなどはコードネームでありながら、僕らには確実に名前であり“くるま”の個人名であった。 “くるま” に人格があった時代、今では古稀爺の思い出の中で・・



初出:ストリートミニ