2010年、前年度のチャンピオンタイトルを獲得したバトンは、マクラーレンへ移籍しハミルトンのチームメイトになった。そして、バトンは早くも第二戦でマクラーレンでの初勝利を飾る。さらに翌2011年は、時に目覚ましい速さを見せたMP4/26で3勝を含む表彰台12回の安定した強さを発揮し、ランキング2位となった。同じく3勝を上げながらも、安定感に欠けるハミルトンは5位に沈んでいる。ここで改めてルイス・ハミルトンとルイスに勝ったチームメイト、ジェンソン・バトンについて振り返ってみよう。
■デビューイヤーで王者アロンソに勝ったルイス・ハミルトン。そして不動のナンバー1ドライバーに
F1史の記録を塗り換え続けてきた王者ルイス・ハミルトンは、2007年にマクラーレンからデビュー。そのデビューイヤーのチームメイトは、2度のワールドチャンピオンを獲得したフェルナンド・アロンソだった。その年はランキングポイントが同点ながらも勝数でアロンソを下し、ハミルトンは順風満帆の船出を果たした。
初年度のアロンソこそ下すのに手こずったものの、デビュー年に優勝4回、そして翌2008年には最終戦ブラジルGPの最終ラップ最終コーナーでトヨタのグロックをかわして5位となり、これで1点差の初チャンピオンを獲得する。デビュー2年目での戴冠、ハミルトンはここからレジェンドへの道を歩み始めた。
そしてハミルトンは新たにチームメイトとなったヘイキ・コバライネンを突き放し、チームのナンバーワンドライバーの称号を確立した。これは現在でも変わりはなく、彼はチームメイトをことごとく足元へと突き落とし、デビュー以来15年間、それは揺るぎない連続記録として……と言いたいところだが、実のところハミルトンのチームメイトを下す連続記録はこの15年間で2度断ち切られている。デビューから圧倒的速さを見せてきた絶対王者ハミルトンに後塵を浴びせたその一人が、マクラーレン時代のチームメイトであり、2009年に新興チーム、ブラウンGPでチャンピオンを獲得したジェンソン・バトンだった。
■走らないマシンで結果につなげるバトン。走らないマシンでは力を発揮できないハミルトン
2011年はレッドブルのセバスチャン・ベッテルがチャンピオンを獲得、他を寄せ付けない絶対的な速さで揺るがぬトップであることを誇示して見せた。また宿敵フェラーリのアロンソも速さを見せていた。
一方でマクラーレンのエンジニアリングは長いスランプに陥り、この年のマクラーレンのMP4/26の戦闘力には陰りが見えていたのである。それでも安定しているバトンは3回の優勝を含む12回もの表彰台を得たのだが、ハミルトンは同じく3回の優勝ながらも僅か6回の表彰台にとどまった。
走らないマシンを状況に合わせて上手く妥協させ、結果に繋げるバトン。それに対して、速いマシンなら限りなく速いが、走らないマシンでは力を発揮しきれないハミルトンという、当時の構図が鮮明になった年であった。
熟練バトンと飛ぶ鳥を落とす勢いのハミルトンが、好条件の揃わない状況下で見せた意外な結果。それが2011年だったと言っても良いかもしれない。
そして、翌々2013年にハミルトンはメルセデスへ移籍する。メルセデスの持つ圧倒的な財力と開発力に賭けたのだろう。さらに、マクラーレンではたとえバトンに勝てたとしても、それは常にハミルトンにとってはプレッシャーとなり、簡単には大差でバトンに勝つのは難しい、という思惑が絡んでいたのかもしれない。
■新人当時からバトンは速さだけではなく、安定感も備えていた
ハミルトンはバトンがマクラーレンに移籍してきた2010年こそ僅差のポイントでバトンを破りはしたものの、翌2011年は優勝回数が同じ3回にもかかわらず、バトンの安定した走りには敵わず、43ポイントの大差で屈服したのだ。しかも宿敵フェラーリのアロンソにも負けてしまった。
デビューからチームメイトには負け知らずのハミルトンには、これは受け入れ難い屈辱であったに違いない。
翌2012年はハミルトンがなんとかバトンをかわしはしたが、バトンと共にした3年間のマクラーレン時代、ハミルトンは一度もバトンに大差をつける事なくメルセデスへと移籍した。
バトンとハミルトンの間には7年間のデビュー差があるが、彼らのデビューまでの経緯は比較的似ている。双方ともカートで才能を開花させ、多くのカートレースを経験しチャンピオンにも輝いている。その経験がF1でのデビューイヤーから、彼らを競争力のある強いドライバーに仕上げていたのだ。
バトンのデビュー当時、ウィリアムスの総帥フランク・ウィリアムスの談話で「フォーミュラーフォードで1年、F3を1年だけと経験の少ない新人のバトンは大丈夫なのか?」という質問に、「バトンはカートで多くのレース経験を積んでいて結果も出している、レースの経験は並のドライバーよりも凄まじく豊富だ」と応えていた。それを証明するように、バトンはただ速いだけではなく、巧みで安定した玄人好みのレースを展開。勝負強さと雨天等のシビアな状況でも熟練したテクニックを見せ、果敢なトライにも危なさがなく、新人らしからぬ安定性を備えていた。
このジェンソン・バトンがハミルトンとチームを同じくしたときに、バトンには既にウィリアムス、ベネトン/ルノー、BAR/ホンダでキャリアを重ね、そして2009年には英国の新興チームであるブラウンGPでチャンピオンを獲得するなど、多くのチームでの経験と成功が積み上げられていた。
ルイス・ハミルトンは、後に2016年にもメルセデスでニコ・ロズバーグにも負けるのだが、マクラーレンでバトンに負けたことは、ハミルトンにとって言わば払拭できない負の記録。
もしかすると今後もマシンなどの状況が落ち込んでくれば、再び2011年の悪夢が蘇るかも知れない。あの年は英国人ジェンソン・バトンがチームメイトだったが、来年からはバトンと同じ英国人のジョージ・ラッセルがチームメイトになる。
昨年のサヒールグランプリでハミルトンの代役で走ったラッセルを思い出せば、彼はハミルトンを破った時のバトンになり得る予感がするのだ。
TETSUO TSUGAWA
TETSU ENTERPRISE CO, LTD.