ミニが日常生活の中で現役なのはミニ・エンスにとっては当然。だいたいスーパーマーケットの買い物に自然に使われている60年オールド車などミニを置いて他に無い。だがたとえ現役だろうがやはり60年(60年前の基本設計と言うこと)オールド車、買い物や休日のお出かけに“ゆる〜く”使うのが本音だろう、などと思うのが一般的な見方。他の60年オールド車ならば、ガレージの中にそれこそカバーを掛けて大切に保管し、雨の日には乗らず、オーナーは毎週ワックスの掛けに喜びを感じ・・もちろん普通のクラシックなら当然のことだ。
しかしミニの現役性はそんなクラシックライフを根底から覆す。ミニのそれは極めてハードだ。ファミリーメンバー的な現役性だけでなく、何とレースやラリーなどのモータースポーツでも極めて現役、力強いコンペティーターなのだ。
実際英国ではミニのレースが盛んで、それもノーマルタイプから超爆チューニングに至るまで多くのクラスが存在し、どれもれっきとしたシリーズチャンピオンシップを争いハードなコンペティションを展開している。チューニングショップも数多く、これらの英国シリーズへはヨーロッパ各国からの参加も多い。
日本でもミニのレースは盛んで、そういう筆者も極たまに参加しているが、多くがプライベートイベントでレーシングライセンスを必要とする公認レースの数は少ない。その分レース気分を緩く楽しめる気持ちの良いイベントがほとんどで筆者もその楽しさに溺れている。
しかし英国のミニレースのほとんどはRAC公認、FIA登録もされている本格的イベント。したがってレースの本気度は高く熱く、ワン・メークスだからこその大バトルが展開される。ミニのレースは他のカテゴリーのレースよりも廉価で誰でも参戦可能。さらにショップでのチューニングは当然ながら、DIYでのチューニングやメンテナンスもいたって簡単。器用なプライベーター達の多くは自らDIYで戦闘力の高いマシンを作り上げている。
そして彼らの多くが自らトレーラーにレーシングミニを載せ、意気揚々とサーキットに向かう。ミニは日常でのゆるキャラ現役と言うだけでなく、レースと言う過酷なコンペティションでも現役なのだ。
これはサーキット主体のレースだけでなく、ターマックやグラベルを走るラリーでも同じこと、昔々ラリー界を席巻したモンテ・ミニ、ホプカークやマキネンそしてアルトーネンの駆ったミニは現在でも同型車がクラシックラリーシリーズでは常連で、近代ラリーにさえも挑戦を続けている。サーキットレースも過酷だがグラベルや氷の上でのラリーはさらに過酷性が増し、きちんとしたコンセプトで改造を行わないと例え高性能近代車でも楽な競技ではないのだが、60年オールドミニはこれを果敢に走り抜けてゆく。
もちろん極めてアナログなマシンだがラリー車の基本要素の全てを持ち、未だに挑戦を辞めようとはしない。これは当然で、ファミリーカーとして産まれた小さなミニは強面・強豪揃いのモンテカルロラリーを連勝して一躍名を上げミニ・クーパーの名前を世界に轟かせた。小さなミニが強豪相手に“柔よく剛を制す”のごとく。
ミニのラリー車は何も通常のクーパーだけではなく、ミニの兄弟車達にも影響を与え、ミニ・クラブマンは当然で競技に数多く繰り出してきていて、変り種のウズレーやライレーなどもサーキット、ラリーを問わずその存在を誇示している。
走っていれば現役と言うのではなく、ミニはレースやラリーで思い切り戦闘的に走り、過激に現役性を主張する。
クラシックカーの存在感は、現在ではレアーとなった昔の車のこと。カテゴリーで細分すれば、レトロ、クラシック、ビンテージ、ベテラン・・等々、幾つかのジャンルに別れる。ではミニは一体どこに属するのだろうか。一般的に観ればレトロとクラシックの間に思えるが、これほど現役性が高ければ実はどのカテゴリーも相応しくはない。
もしもミニのジャンルを探すなら。それこそミニの、ミニの為だけの、カテゴリー・ミニが相応しい。
ミニは永遠にミニであり、消滅すること無く生き続けてゆく、例え我々がこの世にいなくなっても、ミニは間違いなく現役のまま生き続けてゆくはずだ。実際世の中のミニの多くが、親子三代に渡って走り続けているものが多いのだから。
現在の世の中に産まれてくる車達はリサイクルを義務づけられて産まれてくる。つまり新車時からスクラップ化が考慮され5〜6年のサイクルでスクラップにされ、そのリサイクルの率が定められている。近代車は設計時から消滅が計画されているのだ。もちろん近代環境でこれは当然、カーボン・ニュートラルへの重要な役割を担う。したがって近代自動車にはクラシックやビンテージへの道は残されていない。彼らの現役感は日常の消費物と同じように僅かな保証期間だけで終わることが定めなのだ。ミニの現役性は自動車が生き続けて行こうとする最後の主張なのかもしれない。
初出:ストリートミニ